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大阪高等裁判所 昭和56年(ラ)337号 決定

抗告人

井垣雪春

抗告人

井垣トシエ

抗告人

井垣京子

抗告人

井垣俊行

右四名代理人

永田力三

清水賀一

相手方

ナショナル貿易株式会社

右代表者

三戸英一

主文

原決定を取消す。

本件移送の申立を却下する。

抗告費用は相手方の負担とする。

理由

一本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

二一件記録によれば、抗告人雪春(以下雪春という。)は、昭和五四年九月五日相手方に対し東京金属地金市場の開設する現物条件付取引につき、雪春の指示事項に基づき売買取引をすることを委託し、同委託取引により雪春が相手方に対して負担する債務を担保するため、雪春は、三菱信託銀行貸付信託受益証券四通を雪春名義のものについては本人として、その余の抗告人ら各名義のものについては同抗告人らの代理人として相手方に預託し、同時に相手方に対し右三菱信託銀行に対する元本償還請求権に質権を設定したこと、抗告人らの本訴請求は相手方京都支店の業務に関するものであり、同支店勤務相手方社員岡本博文は雪春方に赴き雪春から右各受益証券を受領した際、雪春に対し右取引が終了すれば、清算金及び右各受益証券を雪春方に持参して支払い、返還することを約したこと、雪春の相手方に対する本訴請求は右取引終了による右清算金の支払及び雪春名義の受益証券の引渡を、その余の抗告人らの請求は各自己名義の受益証券の引渡を求めるものであること、雪春は相手方と書面により本取引に関する訴訟につき相手方の本店所在地の管轄裁判所とする専属管轄の合意をしたことを認めうる。その余の抗告人らが右の管轄の合意をしたことを認めうる資料はない。

従つて、神戸地方裁判所は、抗告人四名の本訴請求につき、民訴法五条所定の管轄裁判所である。

判旨X1のYに対するA請求につき甲裁判所を専属管轄とする合意がある場合、A請求とX2のYに対するB請求との間に密接な実質的関連性があるため、AB両請求につき法定管轄を有する乙裁判所において両請求を併合審理し、審理の重復による訴訟の著しい遅滞、裁判の矛盾などを避ける公益上の相当の必要があるとき、右専属管轄の合意の効力は排除され、X1が乙裁判所に提起したA請求訴訟は管轄違とならないと解するのが相当である。

前記認定によれば、抗告人雪春の本訴請求と雪春を除く抗告人三名の本訴請求との間に密接な実質的関連性があるため、神戸地方裁判所において両請求を併合審理し、審理の重復による訴訟の著しい遅滞と裁判の矛盾を避ける公益上相当の必要があると認めうる。

よつて、本件訴訟を福岡地方裁判所に移送することを認めた原決定を取消し、本件移送の申立は却下し、抗告費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(小西勝 坂上弘 吉岡浩)

〔抗告の趣旨〕

原決定を取消す。

本件移送の申立てを却下する。

との裁判を求める。

〔抗告の理由〕

一、1 抗告人井垣雪春(以下抗告人雪春という)は昭和五四年九月五日東京金属地金市場正会員である相手方に対し、東京金属地金市場の開設する現物条件取引につき、同抗告人の指示事項に基づき、売買取引をなすことを委託し、翌日の同月右日に右委託取引により同抗告人が相手方に対して負担する債務を担保するため、同抗告人は同人及び他の抗告人三名の代理人として三菱信託銀行株式会社貸付信託受益証券(以下受益証券という)を相手方に預託し、相手方に対し右各受益証券表示の銀行に対する元本償還請求権に質権を設定した。

2 抗告人雪春は同年同月六日相手方に対し、左記買付を委託し、同買付の取引は成立した。

品名金

渡し月 一一月

数量 四九枚

単価 (一gに付)二、四一七円

代金 一一、八四三万三、〇〇〇円

3 ところが抗告人雪春は相手方社員岡本博文の言動に疑惑を懐き、知人等に相談したところ莫大な相場取引に引つぱり込まれ右岡本に詐されたことに気付き直ちに取引を解消すべく同年同月八日相手方に対し前記買付に対する左記売付の委託をなし且つ右売付の取引が成立した時に相手方に対する本件売買取引の委託を解除する旨の意思表示を為し、相手方に対する売買取引の委託を解除した。

品名金

渡し月 一一月

数量 四九枚

単価 (一gに付)二、四五八円

代金 一二、〇四四万二、〇〇〇円

4 右の買付売付の取引により抗告人雪春は売買手数量を差引いて差額金三四万三〇〇〇円の益金を取得した。

5 抗告人らが担保として相手方に預託した本件受益証券の返還及び差損益金支払の清算は渡し月の月末である同五四年一一月末日にする定めであるところ、抗告人雪春の相手方に対し委託した売買取引につき相手方に支払うべき債務金はないから抗告人らが本件受益証券に設定した前記質権は消滅しているので、相手方は抗告人雪春に対し本件売買取引による前記清算金(益金)を支払い、抗告人らに対して本件受益証券を返還する義務がある。

そこで抗告人らは相手方に対し右清算金の支払いと受益証券の返還を求める訴訟を義務履行地を管轄する神戸地方裁判所に提起したところ、相手方は管轄違の抗弁を提出し、本件訴訟を福岡地方裁判所に移送されたい旨申し立てたところ、神戸地方裁判所は抗告人雪春と相手方は本件取引に関する訴訟について相手方の本店所在地の管轄裁判所、すなわち福岡地方裁判所を指示して、いわゆる管轄の合意をしたものと認定し、福岡地方裁判所に移送する旨の決定をした。

二 原決定は現物条件付取引約款(乙第二号証以下取引約款という)の第一七条の管轄条項を以つて専属的管轄の合意があるものと解しているが、原決定は民事訴訟法第二五条の解釈適用を誤つているものである。

1 原決定は取引約款第一七条の管轄条項の存在を以つて管轄の合意が成立していると判断しているが民事訴訟法第二五条第二項によると管轄の合意は一定の法律関係に基く訴に関し、かつ、書面を以つて之をなすに非ざればその効なしと規定されているのであるが、合意書面といいうるためには、抗告人らと相手方が署名捺印した契約書で、明白に特記されていなければならないから、右取引約款は合意書面ということはできない。

2 合意が成立したというためには①合意が現実に表示され②その内容が書面に記載され③締結されたこと自体が書面に記載されることの三点が必要である(大高決昭四〇・六・二九・下民集一六巻六号一一五四頁)ところ、本件の場合、取引に際し相手方社員から抗告人雪春に取引約款が交付されたが、交付に際し、その内容に関して何んの説明もなかつたしいわんや、訴訟についての管轄裁判所に関して何んの話し合いもしていない。

3 乙第二号証の取引約款は抗告人雪春と相手方との間の合意が現実に表示されていない。即ち、岡本の証言によるも、本件の場合取引に際し、岡本が抗告人雪春に取引約款を交付するに際し、その内容に関し、何らの説明もなかつたし、いわんや訴訟についての管轄裁判所の条項を見せるでもなく何の話し合いもしていないもので、管轄の合意が現実に表示されていない。

又、管轄の合意が締結されたこと自体が書面に記載され、かつ、抗告人雪春と相手方が署名捺印した書面でもつて、明白に締結されたこと自体が特記されていなければならないが、取引約款にはかかる特記が為されていないので、合意書面とはいえない。

4 仮りに取引約款で管轄の合意があるとしても、右取引約款には「専属」の文言が記入されていないので合意の趣旨が明確でなく、かつ、抗告人らと相手方との間には取引社会における地位に著しい懸隔があつて、事実上抗告人らに相手方の定めた約款の条項を変更する可能性はないので、右合意は経済的に弱者である抗告人らを含めた一般取引者を圧迫し、訴の提起を断念せしめることなきよう一般取引者の利益に解釈すべきであつて、相手方本店所在地に常に法定管轄が存在するものでないため、かかる場合に相手方の便宜のみから形式的に合意された、いわゆる附加的合意である。

5 仮りに取引約款により専属的合意がなされているとしても、相手方会社社員岡本は取引に際し、抗告人雪春に何らの説明もなさないで取引約款を交付したもので、同人の無知に乗じ経済的弱者である同人を圧迫し相手方の一方的な便宜のみから合意されたものであつて民法第九〇条に違反して右合意は無効である。

原決定は「右主張にそうかのような原告雪春本人の尋問の結果は証人岡本博文の証言に照らして信用できないし、他に原告雪春が約款の内容を知らなかつたとか、右の管轄の合意が民法九〇条に違反して無効であることを認めるに足りる資料はない。」といつて抗告人らの主張を排斥している。然しながら右の事実は本件取引の背景、経緯、取引内容とその後の相手方の行為を見れば本件の約款取引全体が抗告人雪春の無知に乗じ、且つ経済的弱者である同人を圧迫して為されたものであること明白で、これが管轄の合意にも同等の影響を及ぼすものであることは明らかであるとともに、右岡本の証言によるも同人が取引約款第一七条について説明したとは証言していないのみならず、同人の証言は相手方の利益にのみ証言していて信用できない。即ち①岡本は抗告人雪春が教師の退職者で受益証券等を所持していることを熟知して同抗告人を本件契約に引き入れたこと、②抗告人雪春は一生涯小学校の教師として教育に従事して来た純朴な教師で本件の如き相場取引に関しては全く無知な人物であること、③抗告人雪春は金一二〇〇万円もの受益証券が一瞬の中に消えてしまうかも知れない相場取引であることを全く知らないで岡本の甘言に乗せられて、本件取引に入つたこと、④相手方は抗告人らの受益証券を奪取するため、抗告人雪春が委託契約を解除した後も恣に抗告人雪春名義で、無断で取引を続けていること、⑤甲第四号証で明らかなとおり、当時、既に各地で金取引につきトラブルが発生していたこと、以上の事実からすれば、相手方の抗告人雪春に対する取引の勧誘、契約の締結、取引の形態、契約解除後の無謀な行動などの相手方の一連の所為は公序良俗に違反するもので、右合意は民法第九〇条に違反し無効である。

三 原決定は「原告らは被告会社が清算金及び受益証券は原告井垣雪春宅に持参して支払い返還することを約したとして本訴については民訴法第五条により義務履行地の当裁判所が管轄裁判所である旨主張するが、弁済の場所について原告ら主張のような約のあつたことはこれを認め得る資料はない」というのが、証人岡本博文の証言には「取り引きで清算し、利益があれば受益証益とお金を原告の所に持つて来ると説明したか」との問いに対し「説明しました。」と明言している(一二丁)のであつて、これは相手方は義務履行地につき抗告人雪春宅であることを約定したもので、相手方の義務履行地である神戸地方裁判所が管轄を有すること明らかである。

四 以上の次第であつて本件は神戸地方裁判所が管轄を有するもので、本件を福岡地方裁判所に移送する旨の原決定は失当であるから、これを取消し、相手方の移送の申立を却下されたく本抗告に及ぶ次第である。

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